「住まう」という座標軸で、モノを記述する困難と可能性
2008.7.13
北爪道夫
倉石論文が提起する「住まう」を座標軸にして、学校とその周辺のモノやコトやヒトを記述すること。個別バラバラにならないために、それらのモノやコト相互の関連を思考しうる「星座」をスケッチしてみるのがこの文章の目的です。もっとも「星座」が描けるくらいなら、こんな文章はいらないわけですが。モノの配置や体系が見えたときに人は夜空の「星座」のように美しい秩序をみることができますが、雑然と整理されないモノが散らばってしか見えない状況ですから、まずは「ゴミ」が散らかっているような夜空を凝視することからしか始まらないようです。
1 「住まう」概念の拡張
「住まう」という概念は、本来的な意味では、人がすむ「家」を指しています。ハイデガーの1951年講演『建てること、住まうこと、考えること』で想定されているのは家屋のことでしょう。ハイデガーの思考をうけて、オットー・フリードリッヒ・ボルノウは『人間と空間』(1963 せりか書房1988)で、人間の住まう空間を分析していますが、ここでも「住みごこちのよさ」の本拠は家屋であって、たとえば教会の空間や講義室は「住みごこち」よくてはならないと断ってはいます(p.141)。ボルノウは、「住まう」とは、「とおりがかりの滞留に対置され」「くつろいでいること」と同時に「世間から離れた安らぎの領域、つまり人間がそのなかでは脅迫的な外部世界から身をひいていることのできる家屋という自分自身の空間をもつこと」であるとしながらも、「最近では一軒の家屋に居住することにかぎられないで、人間の空間への関係、つまり空間の中の在り方を全体として性格づける、より普遍的な意味を獲得していることに注目させられる」(P.262)として、メルロ=ポンティの『眼と精神』で多用される「居住している」という言葉に注目しています。
(メルロ=ポンティの)「人間は諸物に居住する」ということは、人間がきわめて内面的に諸物と結びついているので、それらの物は人間にとってもはや外的な対象物ではなく、より深遠な存在の担い手として人間の生に組み入れられていることを意味しているのである。(p.264)
小さな子どもが、自分の家を離れてよその家に泊まりに行くときに、いつも一緒に寝ているぬいぐるみを一緒に連れて行くとき、自分の家の「住まう」様式がぬいぐるみという「モノ」に転移しているわけでしょう。だとすれば、「住まう」概念は、自分の家という限定から拡張し考えられるということになりましょう。そこでボルノウが、教育学者でもあるので、かれの教育学の書物に当たってみます。もしかしたら「学校のモノ」の考察があるかもしれないと思ったからです。私が参照できたのは『教育を支えるもの』(1965 黎明書房2006)だけですが、期待はずれのようでした。ボルノウはこの本の中で、教育を可能にするのは、幼児にとって安心して住める世界を体現している母親との信頼関係なのだとしているのですが、このやすらぎの空間を、学校にまで拡張しています。だとすれば、学校も「住まう」ところとして、想定されていることになります。ただし家の母の代わりになるのを教師としていますから、学校という空間にあるモノたちの考察はされていないのです。学校を「住まう」ところとしてイメージするのはホームルームとか生活綴方とか生活指導などの用語にも現れているように、「家庭的」な親密性は学校が他の集団から峻別されるものであるということはたしかにあるでしょう。とえいわけ保育所、小学校などは家庭から離される子どもたちに疑似家庭的雰囲気を持たなければやっていけなかったであろうし、そこから共同体的な場所として学校を定義することも思想的流れとして確認できるでしょう。しかし、そうした教育思想に学校のモノが直ちに共振するとは限らないわけです。モノは手強いのです。『人間と空間』という著作をもっている教育学者ですら「学校のモノ」を主題化していないのだとすれば、学校に「住まう」ことを座標軸にして、学校のモノの細部を考察することの困難が推測できましょう。
2 錯綜する日常 ─ 親密な場所の考察の困難さ
住まいとしての家も、学校も会社も、一日とか一年とかのサイクルでみれば、同じことが繰り返されている日常世界である、ということができるかもしれません。そこで顔を合わせているメンバーも多い少ないはあるにしろ、ほとんど同じメンバーであることが多いでしょう。「住まう」感覚は「繰り返す」という日常性にその一端は由来するでしょう。家と学校の違いは、家が長期間にわたってこの繰り返しが続くことです。家にある物は、家族の誰かが長期にわたって所有する物であったり共用する物であったりします。学校は6年とか3年とか、比較的短い期間の循環生活の後に、そこを通過して別の場所に移行するという「目的」を持っています。毎日の繰り返しのように見えますが、昨日授業で使った教科書と同じ教科書でも今日は別のところを学習します。学校は目標性をもって循環する日常を送っているわけです。やっかいなのは、生徒(教員も)この家と学校を行き来することです。生徒は学校の宿題を家の自分の机やテレビの前の食卓などですませ、携帯電話で友達に電話して「おまえ、宿題やったか」とか電話して、回答をメール送信したりして、翌朝また学校へ行く。教室に行くとまた宿題が出されていたけれど、今度は誰それが塾のプリントと同じ問題があるからとか情報が入ってくる。毎日は決して単純な繰り返しではないし、「モノに住まう」にはモノが多すぎるし、親密な人間関係ばかりが学校にあるわけでもないし、嫌いなパソコンの使用を授業では義務づけられるかもしれないわけだから、たまには学校もずる休みしたりします。家に一人でいる方が「やすらぐ」けど、ずーっと学校を休んでいると、「なぜ学校へ行かないんだ」と迫られて家も「やすらぎ」の空間ではなくなってしまう。
モノと人を学校という場所を舞台に考察するときに、私たちが圧倒されてしまうのは、第1には、モノの多様さであり、第2にモノは他者との関係で同じモノが別のモノに変身する(嫌いなやつが同じブランドものをもっていたら好きなモノも嫌いになる、とか)、第3に学校とその外を境界なく同じモノが行き来するから、「学校のモノ」なのかそうでないのか、成績とか部活動とかに「住まう」生徒、通過する生徒、逃走する生徒など、一般概念化を困難にする事象がおおすぎることです。
イーフー・トゥアン『空間の経験』(1977 ちくま学芸文庫1988)も学校の空間を専門に考察したものではありませんが「住まう」空間とはどういうものであるかを丁寧に考えた書物です。このなかで私たちを取り巻いている空間や場所の考察が困難を極める理由をいくつか挙げています。私たちが住まっている空間の中では、私たちの周囲に関する、ほとんどすべての学習を意識下のレベルでしていて、この経験を分節化して説明するのは困難であるし、社会科学は、それらを日常経験のわかりきったこととして、それを考察するのではなく前提にしてしまっている。イーフー・トゥアンだけではなく『人間と空間』においてのボルノウも文学作品を多用しています。芸術家でなくてはとらえきれない経験の構造というものがあるからです。トゥアンは、しかしこうした日常の経験をとらえることの可能性や豊かさを確信しています。
環境と人間を研究する者が利用できる材料は、すでに豊富に存在している(そもそも、人は誰でもそれぞれのやりかたで環境と人間について研究しているのではないだろうか)。そのような人にとって、つまり、われわれのすべてにとって基本的な問題は、豊富に存在している雑多な材料をどのように組織化するか、ということである。本書は、空間と場所についての人間の経験を系統づける一つの試みである。この試みによって、読者に人間の経験の幅広さと複雑さを思い知ってもらうことができたとしたら、そしてさらに、経験を構成している様々な要素のあいだには、より体系的な関係があることをある程度明確にすることができたとしたら、本書は成功したといっていいだろう。(p.338)
3 べつのやりかた、べつの住み方は可能か
倉石さんが『学校の境界』で夏目漱石の『坊ちゃん』を取り上げていました。教育そのものから大きく逸脱している主人公さえ飲み込んでしまう教育の日常世界のふところの深さへの絶望から希望を語るという締めくくり方をされていました。ここで倉石さんは、主人公に寄り添って学校の日常構造を解析しているのですが、生徒たちの行動もここで参照されています。「天麩羅先生」と大きく黒板に書かれる、次の教室にいくと「天麩羅四杯也、但し笑うべからず」と書かれる。黒板とは授業で教員が使うものである、という公式の使用法とは違う使い方をしている。そういう使い方も「当然」あると私たちは思っているので、この生徒たちの行為を不当だとはあまり思わないような黒板使用法の慣行を了解していますが、こういう使用法は紛れもなく教師や学校が作り出したものではありません。
『吾輩は猫である』の猫の主人は中学校の先生ですが、その先生の家の隣に落雲館という私立の中学校があって、そこの生徒が野球のボールが入ったといって垣根を越えて進入する。これに抗議して、ちゃんと断りを言って入れというと、1日に16回とかの断りを入れながら入ってくる。嫌がらせの戦術は、敵の作った土俵や状況の中で、それを守りながら反撃するものですが、そういうことを隣の中学生は学んでいる。学校の生徒とはそういう戦術に長けているということを漱石は知っているわけです。
モノには公的な使用法というのが通常はあります。ところがモノを別の使い方に使うことで、モノを別の目的に奉仕させるという使用法の二重化を学校の生徒は昔から創造してきたでしょう。制服の変形もそうですが、木造校舎の時代なら学校は肝試しの会場にもなりました。学校が休みの日には、学校が遊びに行く待ち合わせ場所として使われたりします。文化祭などでは、学校にあるモノの使用が許可されていれば、本来の使い方と別の使い方を考える自由がありましょうが、近年では家庭科調理室をはじめとして学校の調度備品を使わせない傾向がありますから、生徒たちの目的外使用の想像力は衰えてきましょう。「落書」も学校の別使用法の一つだったわけですが、「差別落書」禁圧のあおりで、今日校舎はたいていきれいになっています。ですから生徒は学校裏サイトで落書きをしているのです。机には落書きをできにくい素材をつかい、校舎に落書きを許容しなくなったということと、たとえば漱石の時代には排除されなかった坊ちゃん先生も、いまや排除の対象になるかもしれないということとは関連しているでしょう。ミシェル・ド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』(1980 国土社1987)では「密猟」戦術はこんなふうに説明されます。
ちょうどものの使用法のように、こうした「もののやりかた」は、使うひとによって効能もさまざまにちがってくるものの働き方を活かしながら、そこに遊び(ゲーム)を作り出してゆく。たとえば(家でも言語でも)、故郷のカリビアに独特な「住みかた」、話し方があり、パリやルべーにすむマグレブ人は、低家賃住宅の構造やフランス語の構造が押しつけてくるシステムのなかにこれをしのびこませるのである。かれは、二重にかさねあわせたその組み合わせによって、場所や言語を強制してくる秩序をいろいろなふうに使用するひとつのゲーム空間を創り出す。否応なくそこで生きてゆかねばならず、しかも一定の掟を押しつけてくる場から出て行くのではなく、その場に複数性をしつらえ、創造性をしつらえるのだ。二つのもののあいだで生きる術(アール)を駆使して、そこから思いがけない効用を引き出すのである。(p.90-91)
こうした日常の可能性への着目は、日本でも戦争直後から鶴見俊輔などのグループが試みてきたことでした。しかし上記のセルトーの指摘をシステムそのものが学習する、ということを忘れてはなりません。システムは敵の日常の闘争を不可能にする戦略を仕掛けてきているのです。『坊ちゃん』や『猫』の主人のように、べつの使用法の発明戦術の前で途方に暮れてなどいないのです。今日の困難は、もう一つの使用法を生み出す土台の「日常」の個別の顔が見えなくなっていることです。イーフー・トゥアンは『空間の経験』のなかで「文学がもつ一つの機能は、場所の経験をも含めて親密な経験に可視性をあたえることである」「文学は、われわれが気づかずに過ごしてしまうかもしれない経験の領域に注目する。」(p.290)と言っていますが、私が見るところ、現代日本の文学は親密な経験を可視化し得ているとしても「場所の経験」は脱落する傾向にあるように思うのです。たとえば山田詠美の『僕は勉強ができない』に学校という場所の二重の使用法など描かれていないのです。(近代文学作品と〈学校〉(1)地名が薄れる
http://d.hatena.ne.jp/deschoolman/20080606#1212754546 )
いわば日常の個別の襞をならし平らにして脱領土化する戦略のなかに私たちは巻き込まれ、そのなかで、別のやり方、別の住み方を不可能にされつつあるのではないでしょうか。教育改革は、そうした全体の戦略の中のごく一部として位置づけなければならないでしょう。
4 増改築か模様替えか/「モノ語り」か「物語」か
冨井さんの「コミュニティスクール/学校選択制」には二種類の「地域」が取り上げられています。伝統的な意味での「地域」と和田中の「地域本部」のようないわば「偽の地域」です。たとえば南山城地域の人たちが物語る地域の物語は、具体的な地名があり固有名が登場します。その中に田山や高尾の小学校も組み込まれて語られます。地域の物語は、モノも人もバラバラではあり得ません。相互にリンクし、ネットワークを張っています。これらを支えている中心に「学校の物語」があったと言えましょう。この学校の物語は、単純にたとえば学校の先生に対する敬意とか学問に対する尊重の意識とかにとどまるものではなくて、その周辺で、生徒や保護者、地域の人たちが具体的に学校に関わる中で生み出してきた文化の語りを含んでいましょう。放課後など学校に規制されなくてよい時でも、一緒に遊ぶのは同じ学校の友達が多いでしょう。先生の悪口を言っている保護者でも廃校には反対する、このような周辺で語られる様々な学校の物語が、学校という空間を支えてきたのではないでしょうか。『坊っちゃん』の世界は反学校の物語ではなくて、むしろ学校の物語ととらえるべきでしょう。そういう広い意味で、人びとは学校にまつわる物語を語ることで「学校に住まっていた」と言えるかもしれません。
ところが、こうした学校の物語の消滅を引き出す「改革」が、地域の再生の物語を語るふりをして登場するのです。学校選択制は学校の物語の消滅を意味しています。東京都内の中学生の内4人に1人は私立中学に通っています。公立と私立と地域に関係なく選択しているわけです。広い地域から通学してくる生徒が集まる学校ではたとえば「家庭訪問」などは成立しにくくなるでしょうし、友達と休日に一緒に遊ぶ、ということも少なくなりましょう。小中学校はは「近さ」をキーにして成立してきたのではないでしょうか。近代国家は地域社会から「人材」を引き抜くことで国家社会や産業化を達成してきたわけですから、後期中等教育は「遠さ」を人びとに実感させてきました。後期中等教育も昔の小中学校並に普及し、産業化がくまなく達成されたのであれば、人びとを地域から引き抜く必要性は本来は低くなっていってもおかしくはないのです。
しかし、結果として、伝統的な地域は少しずつ解体へと向かってきました。ただし、これは地域の物語の解体と言うべきかもしれません。生活の実態は解体などしていないのに、それをささえる人びとの語りが消えていっているのです。その人びとの語りが生まれるところが、子どもを同じ小中学校に通わせている親たちの語りなのです。そこを学校選択制は積極的に解体し、地域社会の解体に抗して地域を再生するのだという「偽の地域」が出現します。
伝統的な学校に対する批判言説に事欠かない今日ですが、批判する側は、たいていの場合、学校に対する全面批判などするつもりなどないわけです。教育改革を提起して学校の旧弊を改革する、という人びとも学校否定ではありません。むしろ伝統的な学校イメージの枠内で、学校を批判しています。ところがこうした批判言説の「社会的効果」は、批判しているものたちが考えるよりも大きいのです。それは学校のあれこれの制度や先生や生徒たちの在り方に対する批判をこえて、「学校の物語」の縮小・消滅へと向かっていくのです。
たとえば、学校と社会の境界は、かつて自明でした。「学校でそんなことをしてはいけない」「社会に出たらそれは許されないぞ」「これからは実社会に出るのだから学校のように甘くはないぞ」という風に。「学校の先生」は街を歩いているだけで、その学校文化の体現者であることは知れたのです。まさか小学校が外からの暴力の対象になるなんて、考えられなかった時代は昔のことになってしまいました。学校と社会のあいだの境界線が見えなくなっているのです。セルトーは物語こそが境界決定をおこなう文化的創造的な行為であるとして次のように言います。
物語が消滅してしまうとき(または博物誌的なオブジェになりさがってしまうとき)空間は消滅してしまう。語りが消えていくと(都市でも農村でもそうなっていっているが)、集団も個人も、雑然として形のさだかでない闇に包まれた全体の中で生きるという、不安で希望のない経験を味あわなければならないのだ。(p.253)
「学校のモノ語り」という名称は「物語」が困難になった時代を写していましょう。学校の物語を語ることができないから、ミクロのモノ語りなのか、伝統的な学校の物語への批判意識の表明が「モノ語り」になるのか。そうではなくて、学校分析の新しい切り口としてモノやコトに注目するのだとすれば、大きな学校の物語の解体とその「偽の再建」にたいしてその切り口の有効性を開示しなければいけないでしょう。
四方さんが「廃校舎」で書いています。
校舎を学校として使っていた時よりも、美術館として再生された今の方が、校舎と人々のかかわりが自由でクリエイティブなのではないかということである。教室という区割りは、アーティスト毎に作品を展示し、その部屋をアーティストの個性に委ねるのにちょうどよい広さである。教室の白い壁は、キャンバスのごとく作品を主役としてさりげなく際だたせている。教室にはおさまりきらず廊下に鎮座する現代アートの作品群は、教室と廊下というかつて学校時代にあった意味づけを無化するほどに、圧倒的な存在感を示している。
ここには学校の物語の解体に抗して、伝統的な学校物語の再建とはちがい、さらに地域の「偽の再建」ともちがう、新たな「学校の物語」へとむかう道筋を描こうとする意志があるのではないでしょうか。「学校の物語の再構築」というと、なんだか伝統への回帰のような雰囲気がありますが、そうではない「物語」を創造することで学校空間を「べつの仕方で」仕切っていくという方向性が見えてくるのではないでしょうか。
「住まう」ことに引きつけて言えば、私たちは自分の家の模様替えをやります。これはなかなか楽しい仕事です。これまでの家具などの配置を反省し、いらないモノをほかし(これが一番難しいのですが)新たな配置を未来をにらみながら工夫します。そのとき私たちは住み続ける物語を、たくさんのモノや同居人たちと相談しながら創り上げていっているのです。「教育改革」は家の増改築をやろうとして、実は構造柱にのこぎりを入れています。私たちは家の模様替えを提案し、それぞれの生活のスタイルの中で楽しく住むことのできる場所を作っていく、そういう物語を語ろうではないか、というスタンスが考えられるのではないでしょうか。
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