九老にあるスユノモの「分室」では高校生や中学生たちが講師の「史記」の授業を熱心に受けていました。参加体験型の授業でもなければ、ゼミ形式の授業でもない、ときどき学生たちにテキストを読んでもらい、講師が話す、いわば伝統的な「授業」でした。そこで私たちはシ・ソンさんという若いスタッフからこんな話を聞きました。
授業に出ても規則を守れなかったり、勉強できない子は「来るな」と言うようにしていると。ここは塾と違ってもちろん授業料もありません。周りは低所得者層の多い労働者街です。それでも労働者は子どもたちに勉強させようとスユノモの「塾」に送り込んできます。しかし勉強する気のない子どもたちも親に言われて嫌々やってきたりします。そういう子どもたちには、勉強を本当にしたくなったらいつでも来なさい、でもいまはダメですと言うのだそうです。
おそらく、解放教育(これはすでに「死語」でしょうが)や同和教育に熱心な先生方は、「差別の結果、勉強できる環境や、勉強の意味を見つけられない被差別の子どもたちを切り捨てているではないか」と怒ることでしょう。差別に負けた子どもたちを立ち上がらせるのが教育ではないかと。「荒れた」子どもたちに熱心に関わる教師たちを私たちはたくさん知っています。こうした解放教育・同和教育の「遺産」は、そうした教育を知らない先生でも子どもたちの「ケア」をしなければとか、心の教育、「支援」が必要だという教育言説のなかに「立派」に生きているでしょう。
しかし、今から思えば、分かれ道はここにあったように私には思えるのです。「荒れた」子どもを立ち直らせる教師の熱心な「かかわり」自体を私は否定しようと言うのではありません。しかしそうした行為は「教育」なのだろうか、と思うのです。「教育」などということばで整理できるよな営みではないにも関わらず、それを「教育」の言語で自己説明をしてきたことに決定的な思想的錯誤があったのではないかと思うのです。
また、これもよくある話ですが、学校で問題行動を起こした生徒を退学処分(「自主退学」)や停学処分(「謹慎」)などにするかどうかの会議のときに、抱え込んで面倒をみるべきだという議論だけでなく、「突き放す」ほうが「教育的」だという議論などがでてきましょう。「ケア」も「つきはなし」も「教育」の観点から議論されます。解放教育は、こうした教育思想の枠組みから、抜け出す思想的な芽をもっていたと私などは考えてきたのですが、結局、解放教育も「教育言説」から抜けられませんでした。「教育解放研究会」はどうだったのでしょう。
スユノモでは、荒れた子どもたちを「突き放す」という「教育的行為」で、勉強する気になり規則を守ることができるようになるまでここに来てはいけない、となぜ言ったのでしょうか?
スユノモの九老の講座では「教育」が実践され、荒れた子どもは「教育」の外部へと追い出されたという構図なのでしょうか? このような整理をしているかぎり、スユノモの実践は私たちの理解から滑り落ちてしまうでしょう。そこにあるのは講師も生徒も「共に生きる行為」の輪のなかにいるだけなのではないでしょうか。たとえば小さな子どもたちが、鬼ごっこなどで遊んでいます。そこに参加したい子どもは「まぜて」といって参加しましょう。鬼ごっこゲームの規則を守らないで遊びを台無しにする子どもは、その輪から排除されましょう。「ちゃんとルールをまもるから入れて」といえばいれるでしょう。そこに「教育」ということばで整理する必要性も必然性もありません。スユノモはそういう意味で「教育」などしていないのです。ですから、日本の一般的ケア教師からみれば、スユノモの「塾」は「反教育」なのです。教育という眼鏡で事態を分類/整理して考えることをしないというのは「反教育」ないし「脱教育」の実践につながるのだと指弾を受けましょう。大人も子どもも、寄り合って「史記」を読んで楽しんでいる場を「教育の場」として定義する磁場から離れて考えるのはじつは思想的な力技が必要なのです。「世界で一つだけの花」的な「弱い思想」がはびこっている状況のなかで、私たちはどのようにしたら「抜けられる」のでしょうか?
スユノモでシ・ソンさんのしごく単純なそこの運営のしかたを聞いて、私はかつて「解放教育」が抜けようとして抜けられなかった地点に再び立たされたような気になったのでした。
【参考】「北摂解放教育研究会」の方向転換への提言 1988.5 『教育解放通信』第1号
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