(3)田舎の全共闘経験

 テーマは、「研究会と団塊ジェネレーション」でした。できるだけそうしたテーマに接近しながら考えてみたいと思います。「団塊」世代というのは共通の歴史的経験によって特徴づけられたりします。でも、一見似たような経験をしていても、どうも同じにはくくれないこともあるようです。
 この研究会でしばしば話題になる(飲み会でですが)、京都での昔ばなしがあります。京都出身の人が多いので、自然にそうなるのだろうと思って、京都ナショナリズムのかわいらしさを楽しんできたわけですが、どうも同じ団塊といっても、田舎団塊世代の私には理解しかねる感性がそこにはありました。
 私たちの世代は生まれ育った「村」=封建農村のしがらみを嫌って、そこからの脱出をはかってきたのだ、と思い込んでいた私の発想が、そもそも思い違いかもしれないと思わせるものがそこにはあるようでした。京都ナショナリズムを体得している都会団塊世代の人たちは、昔の京都の細部を飽きもせずに語りつづけるのです。これが私にはいまだによくわからないのです。若者はすべからく故郷を捨てて他郷を目指すものである、などとは私の思い込みに過ぎなかったのでしょうか。
 生まれ育った田舎の地元大学の「同窓会名簿」が卒業してから10年以上たってから送られてきたことがあります。すでに大阪で教員の職に就いていましたが同窓会とは無縁でした。その名簿を見ると、私の職業欄のところは空欄なのですが、同様に同級生もほとんど空欄なのです。ところが私の同期とその前後の名簿も空欄がおおいのです。それ以外の卒業生たちが地元の学校の教員になっているのとは明確な対照をなしていました。私の同期生が地元にもどって何人かが教員の職に就くにはそれからだいぶたってからですが、人数はおおくはありません。教員養成大学だった私の出身大学から地元の学校の教員になったのは極少数でした。そのころは生徒がどんどん増えていた頃ですから教員採用はどうしたのかというと、隣の埼玉県に2年制だかの教員養成施設を急造していて、そこの卒業生を大量に採用したのです。これはつまり行政側の「全共闘」学生への報復でありました。なにしろ地方大学であった私の大学でも、大学の「封鎖」は半年にもおよびましたから、教育委員会は頭に来たのでしょう。留年して大学にのこった人も翌年も地元の学校には就職できずに東京や埼玉のほうで何年か後にやっと就職できた、という話も聞きました。
 私はといえば、別の大学の大学院に逃避して、4年後に地元の教員採用試験も(親がいうのでしかたなくですが)うけましたが、みごと面接で落とされました。同時にうけた東京都と京都府には合格したのですが、その年は採用されませんでした。京都府に合格したので関西に移ってきたのですが、採用はされず(当時は合格=採用ではありませんでした)、1年間はほぼ無職でした。翌年大阪府が拾ってくれましたからよかったのですが、じつはこれも少々やばいかな、とおもっていました。大学院生の頃、仙台のある私立高校で「国語」の非常勤講師をやっていました。この学校は職員の半分以上が非常勤講師で、理事長(校長)の傲慢な経営で有名なところでした。ここで「非常勤の組合」を結成して非常勤教員の待遇改善の運動に関わったのですが、翌年首を切られました。君たちは将来があることだから、その将来を潰すようなことはしませんからお引き取りを、と理事長は言ってましたが、ちょっとあやしいと思ってはいましたが、大阪府に就職できたのですからその理事長は「若者の将来」のために余計なことはしなかったのでしょう。
 「大学紛争」のころ、教授と学生の厳しい対立があった、と言う風に言われますが、私はあまりそういう経験はしていません。封鎖中は教授たちは学校に入れなかったので、私が属していたゼミの先生(不受不施派の研究を歴史学と民俗学を使って研究した先生でした)は、ときどき裏のほうから研究室に入ってきて、必要な本などをとりにきていました。わたしがその研究室にほぼ独り占めで座っていたのですが、先生は入ってきても、あ、いいいい、すぐ帰るから、といってなにもいいません。おかげで私は半年間、「教授」用の場所でゆうゆうとすごしていたわけです。まあ田舎の大学のいいかげんさ、だったのかもしれません。田舎の教員養成大学にしては歴史の先生が5人もいましたが、だれも封鎖について学生に文句を言っていませんでした。社会科学クラスの大多数が「全共闘」でしたから文句も言えなかったのかもしれませんし、若者のハシカかなんかだと思ったのかもしれませんが。
 同様に、学生の方も、というより私がいい加減だっただけかもしれませんが、友だちに中核派もいればフロントもおり、民青もいてよく話をしていました。東大で丸山真男が批判されていた頃、私は丸山を感心しながら読んでいたり、1つか2つ上に黒古一夫(文芸評論家から大学の先生になったかな)が別の科にいて吉本隆明よみでかなり評判だったのですが、私は吉本が平野謙を批判するのがよくわからなかった学生でしたから、黒古氏に興味をもつこともありませんでした。(だいぶあとで黒古氏は吉本隆明から徹底的に批判されていて、「かわいそうに」とおもったことを覚えていますが。)
 団塊の世代は別名「全共闘世代」といいますが、やはり都会の全共闘経験と田舎の全共闘経験とは、ずれているのではないかなとおもっています。ところがいうところの「全共闘経験」は本になり公式的に語られるのはいつでも都会の全共闘ではないか、とふと思うのです。たとえ田舎の全共闘を経験した人でも、その経験の整理の過程でおそらくは都会の、文字化された全共闘経験をなぞることで、それへと微妙に経験を再修正していくのではないでしょうか。
 あのころの大学の授業料は月額900円でした。こわれかけたわら屋根の家から大学に通っていた民青の友人と、夜を徹した話のあとに立ち寄った定食屋のみそ汁と納豆とご飯だけの定食の味をまだ覚えているように思うのは、そこにかつて存在し、もはやどこにもないものへの私の郷愁のせいかもしれません。

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