「右手が少し動いたのでお茶漬けを食べたくなった。でも人に食べさせてもらうお茶漬けはおいしくない。自分でお茶漬けを食べたいと思ってリハビリをして食べられるようになりました。」民宿の主人は11回の入院手術あととは思えないハッキリした声で語ります。足が少々不自由なので、出されてきた料理は息子さんがするのかな、とおもって質問すると、「いや、ワシがつくっています。料理は学生時代に全国を回りましたから心得があります。それに料理はリハビリになります。」囲炉裏の間には調理師の免許状が、宅建取引の免許などとならべてあります。表に車イスが2台、あまり使われていそうもないままおいてあります。「車イスでは料理できませんから」
和歌山県の湯ノ峰温泉のすぐ近くの民宿に偶然泊まったら、そこのおじいさんが食事をしながらいろいろなことを話してくれます。学徒出陣で出征し、南の海で漂流しているところをたまたま助けられて生還、東京帝国大学在学中に出征して、卒業は戦後の京都大学の農学部。水産が専門だったといいます。「こっぱ役人してましたが」というのですが、聞いてみると農林省の役人を9年ほどやっていたらしいです。「あのころは出張なんて自分で研究テーマをつくってあちこち回ってました。ええ、大阪府にもそのあと、何もしてないのならこいや、というので採用試験とかなにもなしではいって働いてました。で、脳血栓で倒れた後は、勝浦の病院に通うためもあって大阪から引っ越してきました。今から26年前ですか」
この人、岡本幸七氏は現在83歳ですから、大量の書籍と20数匹の犬とともにこの山の中に引っ越してきたのは60歳も過ぎていたわけです。捕虫網をもって山を歩き、森林の様子を観察し、広葉樹林がしだいになくなっているこの山には自然はなくなった、と言いきります。まるで南方熊楠です。
「第七高等学校のときは、先生からおまえは出席せんでもいい、出席せんでくれ、といわれました。万世1系なんてうそっぱち、天皇の系図なんてぶつぶつきれている、なんていってましたから」と反骨精神と博学なところはは熊楠翁に似ています。絵も描くし彫刻もする、まえはピアノもした。「他人にできることを自分ができないはずがない」と言い切るこの幸七翁、昔のことばかりが出てくると思ったら大間違い。ウナギはいまや中国ばかりかヨーロッパからも輸入されているなんてことは、こっちは知らなかった。新しい知識はどこからえるのかと、インターネットもこなす幸七翁からネットからという答えを予想していたら、「本です」とのこと。いまでも読書で寝るのは夜中の2時、3時になるという。「睡眠は3時間で十分です。ナポレオンにできて、自分にできないはずはない、と思ってきましたから」
「この家は私が設計図を書きました。ところが建ったのはいいですが、住めないというのです。聞けば水がない。あちこち空き家だったのですが、谷川から水を引いてこなければならない。10キロ先から、引いてきました。」この山里では各戸で谷川から水を延々と引いているようです。風呂も別に温泉ではないのですが妙に気持ちが良かったのはそのせいかもしれません。
一遍聖人は、熊野権現の啓示で湯ノ峰で悟りを開いたわけですが、なにやら熊野には、人を元気にする霊気でも漂っているのでしょうか。今は亡き中上健二のエネルギーも在地性のものなのでしょうか。83歳の幸七翁は肌もつややか、記憶も声も一つも衰えたところは感じさせません。私が聞いたのは2時間弱ほどですが、宿帳には延々5時間、幸七翁の話を聞いた人もいたようです。
定年、老後、悠々自適、などという言葉がちらちらする、私と同世代のみなさん、一度話を聞いてみる価値はありますよ。それに学生時代のこともしっかり憶えていますから、戦中戦後の教育についてこちらで準備して話を伺ったら、かなり貴重な聞き取りになるのではないでしょうか。
ここの「日記」は息子さんが書かれていて、「掲示板」の応答が幸七翁です。
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