戦後民主教育その可能性と不可能性 5 学校知の構造

5 学校知の構造

 上原専禄でなくてもよいし、1955年という時点における教育の言語として限定する必要もない。戦後教育の一つの普遍的認識として、上原の言葉を位置づけることができよう。

 日本の教師は現実の政治の問題、社会の問題ととりくみ、権力とたたかわなければならない。それと同時に教師は子どもを教えなければならない。子どもを育てなければならない。その子どもを教える教師は一方において、おとなとして現実の問題とたたかいながら、他方においては子どもを未来社会をにないうるような子どもにつくっていかなければならないのであります。私たちが現時点における問題を非常に厳しく具体的に考えるということと、その問題意識を子どもたちに直接ぶつけるということとは、別のことでなければならない。その点が教育のむずかしさであります。………学校教育についていえば、子どもがおとなになるまでは、子どもたちにいろいろの点で心配をさせたり、迷惑をかけたりしないという気持ちがたいせつではあるまいか。その気持ちにもとづいて行動していくならば、学校教育の中身のなかにアクチュアルな問題がなまのままもちこまれるということはないのではないか。それよりも、十年さき、二十年さき、三十年さきのことを考えて、そのような社会において子どもがりっぱに生きうる能力と見識と感情をもてるように、という考え方に立って教育していかなければならないのではないか。(「民主主義教育の世界史的自覚」)

 「現実のアクチュアルな世界」から〈子ども〉を隔離して〈教育空間〉のなかで将来のために「能力・見識・感情」を育てようとする戦後教育の回路が、ここには明確に示されている。〈子ども〉は教育的環境の中で育てられるべきであって、現実のアクチュアルな世界から保護されていなくてはならない。また、そうした生活世界から子どもたちを引き離すことが可能であるという前提がここにはある。教育基本法も公教育の中に現実のアクチュアルな問題を持ち込むことを禁止し、この現実を「教養」化して教育することを説く。「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」(第8条)
 人間が社会の中で生きていくときに、その生きることと知は分割してあるのだろうか。「教養」と「活動」とは一人の人間の生において分離しうるものなのだろうか。知と生の分割、言いかえれば、生き方とかかわらない知、生きることと独立に知が存在し、生きることとの対話を持たない自己完結的な知が、逆に、生きていることを抑圧し続ける。こういう知識主義、教養主義の転倒形態を公然と制度化したのが学校であるだろう。知がその生命の源泉としての具体的生の活動から切り離され、「教養」として普遍化せしめられたとき、学校が成立したと言ってもよいだろう。
 生と知の分割は、近代が伝統社会に加えた決定的一撃であった。農民にとって、農作業も農具の使い方も肥料の作り方も、それを知るということは、そのものと自分の生との直接的かかわりであり、そのものとのつき合いであった。決して、「モノについての知識」ではない。コピーされ、間接化された普遍性のある価値としての知識ではない。前近代の生産・生活から分離していない知を、たとえば「こつ」や「勘」としてとらえ、「このような知識・技術は、人格全体が濃密に接触しあう一種の血縁共同体とでもいうべきものの中で、生活と労働を共にしながら、親方、先輩を通じて身体と心の全体でもって伝えられていくほかないようなもの」と規定し、近代科学の登場は、こうした文化の伝わり方を変化させた、ととらえる大田尭などは、「科学を背景とした文化は見よう見まね、以心伝心によらなくても「わかちつたえ」ができるものである」(『教育を改革するとはどういうことか』1985)として、近代科学の客観的内容=「主観と偏見を削って、1人ひとりちがったものである人間を深いところで有無をいわさず結びつける内容」をわかちつたえることのできる普通教育の場としての学校を意義付けをする。
 戦後民主教育の今日的理論水準を示す、大田尭や堀尾輝久が、学校以前の文化を射程に入れて論じながらも、近代学校教育の問題点を「詰め込み」教育の危険としかとらええていないのは、知の生活世界からの隔離が、どんな転倒を生み出してきたのかに気づいていないからだ。「文化が科学を媒介として「わかち、つたえ」ができるようになったことと背中合わせに「詰め込み」という危機が成立した」と彼らが言う〈「詰め込み」という危機〉という部分に、われわれは〈生と知との分割の危機〉という言葉を入れよう。
 大田らの普遍教育への欲望は、確実に、「こつ」や「勘」としてとらえている前近代の知への一定の「みくびり」を含んでいる。普遍化、客観化しえない知であると。生活世界から分離されていない知であるからといって、知る喜びのために知る知識欲や大胆な仮説を立てて、自然現象に切り込んでいく倦むことのない実験精神、能動的組織的な観察がないのではないことは、われわれはレヴィ=ストロースの『野生の思考』で知ることができるはずだ。近代科学の客観性といったことの中でしか学校は位置づけることができないのだろう。「科学」は、今でも〈教育空間〉の中枢なのだ。
 知と生との分割を持ち込んだのは近代であり、これを制度として固定する装置が近代学校であった。生活世界から知を離陸させ、「真理」「自由」「科学」といった普遍的価値を啓蒙しようとした近代そのものが一つの〈教育空間〉を形成し、さらに、その内側に、普遍的価値を精選パッケージにして、教える専門家が〈子ども〉を教えるべくセットした学校という〈教育空間〉がある。生活から知を抽出分離し、生活世界の直接性・多様性から知を引きはがして、学的体系の一部の構成要素化することによって、無名的中性的真理性として昇華させ、そのことによって、生活世界との媒介性を失ってゆく知の近代の道程を、子どもたちに歩ませること、これが学校教育の任務になっていく。
 前近代の世界においては、知は生活の全体性そのものであった。漁師の子はおとなたちとともに船に乗り漁をする生活を通して、海を知り、魚たちを知った。魚の知は、私が漁をするという具体的で直接的な知であり、生きることとつながっていた。朝の空をにらんで夕べのシケを予測する。そしてあやまたず感じとる知は父祖の生活知の伝統につながり、共同体の輪の中で生きてきたことによってえられた生活知だ。
 近代学校は、この漁師の子を学校に入れ、海流の名や魚類図鑑、天気図の読み方など等を教えた。こうした知は、近代科学の学問体系の一部であり、これらの知は、その体系全体としてかろうじて、前近代の生活知に対抗しうる全体性を持ちうるのだ。天気図が読めただけでは、今、ここで天気がどうであるのか読み取れはしないのだ。近代科学の知は漁師の子にとって外の知、生活と切れたところの知になってしまった。学校の授業の中で、この天気図という「文化遺産」をめぐって、教師が創造的で発見的な授業を展開し、漁師の子どもが家に帰って、おとうちゃん、学校でこんなこと教わった、面白かったと言ったとしよう。きっと充実したよい授業だったにちがいない。しかるに父親は何を見るだろうか。
 前近代の村落共同体には、「政治的教養」と「政治的活動」の区別なんてものはない。生活世界の諸活動と不可分に政治があっただけだ。宮本常一の名著『忘れられた日本人』に対馬での調査のとき出会った村の寄り合いの仕方が書かれている。宮本氏が村の文書を貸し出し願えないかと申し出たのに対し、村人たちが、二日以上にわたって、昼も夜もなく協議をつづける。議論を戦わせるといったものではなく、それぞれが自分の体験にことよせて話す。用事があれば帰って、すめば又来て話す。論理でつめるのではない。連想のおもむくままに世間話のようにして、それに関連した話題を膨らませていく。そうしてみんなが納得のいくように話をまとめていく。こういう共同体の政治には、それぞれの生活を出し合うことはあっても、「教養」として政治的知がぶつかりあったりはしない。生活世界の中に「政治」が慎重に埋め込まれてあった。共同体の世界には、〈教育空間〉は成立しようがないのであった。
 戦後民主教育が「政治」を「教養」化し〈教育空間〉のなかに何のためらいもなく追い込み、その〈教育空間〉の場で成立させる創造的教育の力によって子どもがやがて「政治的活動」として自己表現していくゆくであろう、と夢を描いた。そういうオプティミズムにとらわれ続けてきた。「政治的教養」が生活世界に下降浸透していく回路を、戦後民主教育は夢としては持っていても、方法としては認識したことなどなかったのだ。現実のアクチュアルな世界から子どもを隔離する意識の中では、子どもたちは〈教育空間〉の内部の抽象された政治に対面させられるにすぎない。ここでは教養化した、いいかえれば外部の問題であって、決して自分の生活世界を犯してはこない〈教育空間〉での政治ゲームを、いかに迫真化させるかだけが問題になるだけだ。こうした生活世界から切り離された政治的知は、生活世界を非政治としてくくる心性と、生活世界を〈教育空間〉の政治的言語に整序可能と思い込んでしまう政治的心性を生みだしてくる。

 生活世界から知を分離し、この近代知の体系の中に人を囲い込むことによって、人々を生活世界の外側に出してしまうという構造は、学校という典型的な〈教育空間〉が保有しているものであるが、学校の外の日常生活の世界は、そうした構造を免れている、というのではない。日常生活もまた、学校化の波の中で〈教育空間〉の戦後的膨張の中で、学校知の構造にのみこまれている。
 小沢有作は、今日の教育の現実に足をおきながら、教育学の脱構築を意欲的に展開している数少ない一人である。彼は学校文化を「再生産文化」として位置づける。「学校文化は文化そのものではない。ある規準にしたがって再生産された文化である」として、文化そのものと学校文化を区別する。

 ひとつは国家権力のフィルターをくぐって、もうひとつには専門家(権力)のフィルターをとおって、近代の文化総体のなかからある知識を抽出して再組織・パッケージ化しているものであることはまちがいありません。無限に貯えられている知からあるものを選んで、認識的秩序を整えるのですが、そこにはあるパラダイムが内在・機能しているはずです。(『部落解放教育論』1982)

 このパラダイムは何か。小沢は学校文化の内容的パラダイムと方法的パラダイムをとりだしている。学校の文化は、工業化社会に合うように作られており、伝承文化、話しことばの文化や衣食住といった日常の生活文化が落とされている、というのが内容的パラダイム。要するに、生活世界と学校の知、価値というのは切れているのだ。学校文化の方法は、与えられた階段をのぼる順次性の方法。そしてそこでは答えが一つであり、その正誤の判定者(教師)が評価を独占する。これが小沢の方法的パラダイム。
 小沢の所論は、学校文化が文化そのものでなく、抽出され再編成された文化であるという、学校文化の二番煎じ性、そこに学校文化の「冷たさ」、階級性の再生産の構造をみるものである。民衆のことば、生活・文化といったものは、学校文化そのものによって切られてきたとみるのだ。
 しかし事態はこれほど単純ではないだろう。学校文化の外の文化が、日常生活が小沢が感じているほどには、無限の知のありかでもないし、認識的秩序に編成されてないわけではないのだ。民衆の生活・ことば・文化が〈教育空間〉に編成されてしまっている。民衆が生活の中でつぶやく言葉が自己を編成できない。沈黙の中で自らの姿を構成しえないでいる。〈教育空間〉で流通されることばでしか自らを語りえない〈知の学校化〉は深い。しかし学校化ということ自体が近代の文化総体がはらんだ事態であることをおとすわけにはいかない。近代の知の構造そのものが〈教育空間〉を編成する力を内在させていたことを、学校化とともにおさえておかなければならないだろう。
 I・イリイチの戦略は、学校化社会を支える学校知の変革を通して、近代の知そのものを乗り越えようとしたものであった。

 学校において何でも測定するように教育されてきた人びとは、測定できない経験を見逃してしまう。彼らにとって測定できないものは第二義的となり、彼らを脅かすものとなる。彼らは今さら創造性を奪われる必要はない。彼らは教授活動の下で、自分のなすべきことを「する」(do)ということや、本来の彼らに「なる」(be)ということを忘れてしまい、つくられたもの、あるいはつくり得るものだけを、価値があると考えるようになっているのであるから。(『脱学校の社会』1970)

 よく言われているような「人間の価値は成績でははかれない、学校はテストで子どもをランクづけして、子どもの可能性・創造性をだいなしにしている、だから今日の学校の荒廃は・・・・・・・・」という粗雑な議論をここでしているのではない。学校では価値を測定可能なもの、すべてのものは数量化し比較可能なのだとする、その結果、子どもは創造性を奪われる、というのでもない。教師が教えることによってのみ子どもは学習するという思想を制度化した学校の中で、すでにして子どもは既成の、可能的価値の中にとじこめられて、創造性・学習の自立性を奪われている。
 ここでイリイチが「測定できない経験を見逃してしまう」人間のあり方、測定できないものを第2義的なものとして、測定できないから不明なものとなった経験が人間を脅かすものとなったという指摘の射程をはかってみよう。
 病院に行って医者の世話を受けるのでなければ「健康」という価値を個々人は維持することはできない。学校に通って教師の世話を受けるのでなければ「教育」という価値を自らのものにすることはできない。電車・車といった交通手段に頼ることなしには「移動」という価値を自分のものにすることができない。このように考えて、健康・教育・移動といった価値を、病院・学校・交通機関という制度の発展におきかえて増進させる現代社会のあり様を、イリイチは「価値の制度化」という。この〈制度化〉は、文字通り目に見える制度(学校・病院など)をさしている。が、同時にその制度を価値の表現として打ち立てる意志のことをもさしている。人が学習しようとしているとき、その学習を教授と結合し、学習をカリキュラム化し計画的に一定の結果を引き出しうる過程を人の意識の内に打ち立てるのが「教育の制度化」だ。人が「健康」を維持しつづけようとするとき、それは人間が本来自らのうちに持っている健康維持の力・自然治癒力のはたらきに活動であり、自律的個人が環境の中で対処する能力の発揮において増進されるものである。しかし、社会・環境および社会的存在としての個々人から「健康」「病気」を抽出し、何が健康か、誰が病気か、病人に何をすべきかの決定を医者にゆずり渡してきた(『脱病院化社会』)。これは医療制度の樹立が同時に、人びとの意識の内に、治療の専門家である医師の治療を不可欠のものとして導入し、医師によって計画化された治療のカリキュラム、健康のプログラムを制度化することでもあった。患者−医師、生徒−教師という制度化された関係は、専門家によって価値(健康・教育)がわくづけされ、計画化され、それにもとづいて操作の客体たる患者・生徒に価値が実現されてくるという意識を人びとの中に樹立するものである。だからイリイチのいう「価値の制度化」の概念は、単に目に見える制度のことをさしているばかりではなく、人びとの意識過程、日常的感覚の中に価値を制度としてしかとらえない感性の形成をもさしているのだ。価値が制度化した意識を介してしか見えない。価値を常に制度として固定させようとする欲望といってもよいだろう。イリイチは価値を制度化することが限界を越えると、価値実現にさからってくることを指摘していくのだ。学校化社会、医療過剰化・病院化社会の論理そのものの解体を目ざしている。
 価値を制度として、人間の具体的な生全体から抽出してくる営為の原型は〈教育〉の抽出にある。イリイチが学校という制度の批判から、近代批判をはじめたのは偶然ではない。近代の文化総体を批判し超える根源的な問題領域を教育ははらんでいたのだ。『シャドゥワーク』『ジェンダー』と展開するイリイチの思想的展望は、〈教育〉批判から生まれてきている。私の言葉で言えば、林竹二が人間の営為全体の中に、他の諸活動と不可分に融合していた、それ自体としては存在しなかった〈教育〉を具体的人間の生全体から引き離して抽出してきた、あのきわめてイデオロギー的な手つき、それこそが、近代をつくりあげてきたものなのだ。〈教育〉という制度を人びとの中にうちたてることが、どれだけ人びとの生活世界を解体していったか。それを見きわめる努力として、イリイチの思想をわたしは読んできた。〈教育〉はすぐれて、現代思想の先端の問題を提出しつづけているのである。イリイチの著作は、すべて〈教育〉論として読めるのだ。もちろん、〈教育〉の解体構築へ向けてだ。『稀少性=欠如性の歴史』を書こうとしているイリイチは、その第一歩として位置づけている『ジェンダー』(1982)で書いている。

 学校から家庭、組合から裁判所へと、近代の制度はどれもみな、稀少性=欠如性の前提と合体し、その結果、その前提を構成する単一の性の公準を社会のいたるところにまきちらす。たとえば、男と女はつねに成人しつつあるわけだが、今日では成人するためには〈教育〉が必要である。伝統的な社会では、希少=欠如であると知覚されるよな成長の条件などなくても大人になっている。だが、教育上の諸制度はいまやこう語る。のぞましい学習と能力こそが、男と女が一人前になるために必要な希少=欠如財なのだ、と。こうして教育とは稀少性=欠如性の前提のもとにある生活のあり方の学習を指すものに変わっている。しかし、現代の典型的ニーズの一例とみなされる教育は、それ以上のものを含意している。すなわち教育はジェンダー不在の価値が欠如していることを想定している。教育はいまやこう語る、教育のはたらきを経験する彼/彼女は、もともとジェンダー不在の教育を必要とするひとりの人間なのだ、と。

 生活世界から〈教育〉を抽出し、生活世界を〈教育〉世界として編成しようと意志した近代の知は、それを学校という制度に精選パッケージする以前に、すでにして生活世界を抑圧・変容させる。生活世界に敵対し、それを転倒させる構造を持っていたのだ。だから学校知はそのままで近代の知の範型をなしているのであって、その限定、わくづけでは(本質的には)ない。子どもには教育が不足している、その不足している教育を加えてやろうとするときに、教育は、男と女を、伝統社会の性=ジェンダーが「解きがたく非対称的なひとつの相互補完性」としてあったのを、科学用語で定義される〈セックス〉におきかえてしまう。そうした〈教育〉の実現が、男女間の平和をみだし、ジェンダーの棄却によるセックスの社会的構成を実現し、女性にたいする経済的差別をつくりだした、とイリイチは主張する。生活世界、イリイチの言葉で言えばヴァナキュラーな世界を〈教育〉という制度がいかに「潜在的カリキュラム」によって解体させていったかという主題をイリイチは持続している。
 「測定できない経験を見逃してしまう」人間を学校がつくりだしている、とは以下のようなことだろう。価値とは近代の知においては、測定できる、交換・比較可能な普遍的価値として現れる。生活の個別的具体性を媒介することなしに、誰にでも、「有無をいわさず」「客観的」にどこにでも現前する価値である。たとえば「平和」とは、どこの国でも、だれにとっても均質なものとしてしか近代の知では現れない。だから「平和」も測定しうるのだ。「愛」が普遍的価値であればこそ、「あなたは、私とあの人とどっちを愛しているの」という比較が可能になる。「人間」もしかり、なにがより「人間」的なのか。非「人間」的人間を排除する意志も、この普遍的「人間」への欲望にもとづく。「人間」への求心性が、たとえば「理性」の主体として人間を規定し、非理性的人間、狂人を人間の外にくくってきた近代の知が、ファシズムと地つづきであったのではないかという、西欧近代への内省を、イリイチは当然のことながら、踏まえている。
 価値を普遍的価値と同置することは、価値を制度化する発想とつながっている。普遍性を主張しうるからこそ価値は制度化されうるのだ。生活世界の具体相は、普遍化・制度化への意志ではすくいとれない。普遍への意志は、生活世界のカオスを脅威として排除してしまう。第2義的なものとして整序したとしても、普遍的価値は排除してものによって、不安にさらされる。だから学校知の活動の場である〈教育空間〉は近代の知の限界閾であえいでいるのだ。
 学校知は〈教育空間〉にくくりえない経験と対話することができない。〈教育空間〉に流通する普遍的価値、相互の対話、組み合わせ、差異化としてしか自己の存在を主張し得ない。生活世界は知から隔離された経験全体としてほうりだされたままである。この中では価値は制度から遠く、それぞれの詩をうたいうる多様な相のままにある。にもかかわらず、人びとはそれを制度化された価値の側から整理して、経験全体を安全な領域に囲い込もうとする。これが学校知に典型をみる近代知の構造なのだ。
 5歳の娘が、新聞を見ている私に聞いた。「この子だれ?」新聞の写真を指して言う。新聞には「アフリカの飢餓」という問題が報じられていた。やせた子どもの写真が載っていた。もちろん、どこの誰だということは書かれていない。「飢餓」という問題に還元して、私はその写真を見ていた。だから、聞かれて、とまどった。私は無意識のうちに、抽象的な問題体系に、その写真の子どもを参照させて、世界を理解していたのだった。そういう参照大系−−たとえば「飢餓」というところに還元してしまう知こそは近代知、学校知なのだ。「この子だれ?」という直接性を世界にもとめる知は、学校知によって整理されていくだろう。生活世界のそうした直接性に生きることの困難をわれわれは抱えてしまっているのだ。参照大系のいろいろを〈教育空間〉に浮遊させるゲームは、われわれの生活世界を、直接性の世界を追い出してしまう。学校知=近代知は、われわれを生活世界から隔離し、価値を制度化する欲望のとりこにして、世界を安全地帯にしようとする仕掛けなのではないだろうか。

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 20年以上前の自分の文章を読んでいると、複雑な気持ちが交差します。視野の狭いところとか、いろいろいい加減なところが気になるのですが、なによりもこのときに自分がつかまえたと考えていた問題領域が、今でも、私自身の課題として居座っているせいで、荷物を抱えたままの気分なのかと気がつくのです。問題を提起したらそれで何かした気分でいられた時代だったので、これを書いたときはかなり爽快だった記憶があります。竹内良知先生は、何でも近代知のせいにする私の議論をきっちり批判されていましたが、そのときはわからなかったですね。先生はさまざまな学校批判は、その多くは当たっているけれど、「出口」が見つからないのだ、という意味のことをおっしゃっていました。そういう指摘も20年以上前に聞いたのですが、その意味がやっと理解できるようになったのはこのごろです。
 この「出口」の話をしていてではないのですが、先生と歩きながらたまたまスピノザの話になったことがありました。大学時代から私はそれなりに関心を持っていましたので少し質問しただけで、スピノチストでもある先生のお話にはとてもついていけませんでした。それでもそのときだったか、はっきり覚えていませんが、ネグリのスピノザ研究『野生のアノマリー』のことを高く評価されていました。1981年に刊行された本ですが、もちろんそのころはまだ翻訳などありませんから、私は読むすべがなかったのですが、翻訳が出たら読もうとそのとき思ったのでした。
 今、『野生のアノマリー』(作品社 2008 杉村・信友 訳)を翻訳で読んでいますが、細部までなかなか難解でわからないところだらけなのですが、スピノザが「もうひとつに近代」を切り開いた戦闘的哲学者であることは確認できます。学校教育批判の「出口なき批判」を超えるものを竹内良知先生はスピノザにみられていて、私にスピノザの話をしたのかもしれないなと、今頃気がついています。
 33年間教員をやってきた総括をやっとできるスタートに立てた気がします。亀のような歩みでしかないでしょうが、自分が納得がいくようなところまでは行きたいと考えています。



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