1 モノはトロイの木馬
人が住んでいる場所は、それぞれの顔が違うように様々です。教員は家庭訪問などで生徒たちが暮らしている場所が様々なのをよく知っています。テレビをつけたまま会話を続けようとするので、テレビを切ってくださいと言ったりもしますが、古い新聞が捨てられぬまま壁一面に積み上げてあったりしても、人の暮らし方はいろいろですから、いちいちびっくりなどしていられません。もっとも私の家に訪れた人が何に反応するか、なかなか予測がつきません。たいていは人の暮らしはいろいろだからと考える人が多いですから、いちいち人の家の感想など口には出しませんが、「わー、食材がいっぱいだー」とか「大きな猫ですねー」とか、住人には当たり前の光景に、訪れた人が口走ることで、自分の暮らしぶりの輪郭が見えたりします。それでも一般常識からみたら、私の部屋は乱雑なことくらいはわかっていますから、訪問者を入れたりしません。恥ずかしいですからね。
自分が「住まう」場所には、住み方などはないのです。とりわけ自分の部屋ともなれば、本や机をどのように配置しようが勝手です。たまには家人がのぞいて、「何とかならんの」と言われたりしますが、下手に整理すると、本やモノがどこかに行ってしまって不便になることもあります。もちろん、自分の部屋でも整然と整理している方もいます。その人は整理していないと住みにくいのです。住む行為には規則がないのです。住み方があるとしてもその規則は自分が作って、自分が改良し、自分が使用するものですから「使用法」とか「規則」ではないのです。居心地がよい、くつろげる、というのは、規則や使用法がない、もしくはその設立者が自分自身であることからくるのです。
自分の家であっても共同生活者がいる場合は、だいたいの住み方、流儀というのが自然に生まれてきますから、ゆるやかな規則や使用法が発生するでしょう。たとえ家具や道具の使用法であっても、極端に構成員間でそれがちがっていると、住みにくい家になってきます。住んでいる家に、何か新しいモノが購入されたばあいは、その使用法についてあれこれ意見や考えがあって、自然とその使用法が一定してきましょう。同時に、たとえばテレビが初めて家庭に入ってきたときのように、テレビの使用法は単純にその家の主たちの命令できまるのではなく、その家の主たちの暮らし方のほうに介入し、それこそ構造的変革までをも起こしてもいくのです。そうして、その暮らし方の変容は、場合によれば住む場所、居場所としての心地よさをも追いだしてしまうことだってあるわけでしょう。
他人が家の中に侵入してくることに対しては、人は警戒し、バリアをはりますが、モノの侵入に関してはあまり警戒心をいだきません。でも、モノはトロイの木馬のように、住処を破壊する力を隠している場合があるのです。
2 使用法の設定が施行細則ゲームを生み出す
前にも紹介しましたが、長野県松本市の山辺学校にはじめて「オルガン」がやってきたときに、村人たちが総出でオルガンをむかえたそうです。学校を作ったのも村ですから、オルガンというモノは学校に来たというより、この地域社会にやってきて、この村の人たちの意識をも変容させたのでした。このとき、山辺学校と村社会との境界は存在しません。学校にいかない小さな子でも、大きくなって学校にいったら「オルガン」にあわせて歌を歌うのだ、と思うようになるのです。
学校に監視カメラが設置された、と地域の人が学校からの連絡で知ります。監視カメラは学校とその外の境界に設置され、「学校を守る」のです。たとえ保護者であっても、教員であっても、監視カメラの下を通る時は、「学校と私」という二分法の洗礼をうけるのです。教室に設置されて、授業の様子を写すビデオカメラは「監視カメラ」ではない使用法があるのですが、監視カメラと同じ使用法で使うことも可能になります。これらのビデオカメラは特定の目的のために特定の人が操作使用するモノであって、オルガンのように汎用性の高い「学校の」モノではないのですが、いまや学校には必須のアイテムになってきていましょう。
使用法が厳密に規定されているモノと、汎用性が高くだれでも使用できるモノが学校には混在しています。これも前に書きましたが、教室の黒板には生徒は落書きも可能ですが、OHPや電子黒板は先生でないと使用できないか、厳密な使用法がついています。運動会や体育の授業の前などにラジオ体操をしますが、体育の先生でなくてもそこそこ「指導」できますし、生徒が勝手にすることもできますが、体操のほうはそうはいきません。使用法=指導法が厳密なのです。学校にお弁当もってきて食べているところでは、昼休み時間以外の休み時間に食べたり、食べ残したり、皆んな食べ終わっているのに自分だけゆっくり食べている、という勝手な食べ方はできますが、給食となるとそういうことはできません。食堂があって、そこでお金をだして定食やカレーなどを食べる場合は、食堂の利用法が多少あるとしても給食よりは、厳密な使用法がないぶん気楽でしょう。自習時間には教室で自習するようにと指導されるときと、図書室などで自習してもよいと言われるときでは、使用規則の厳密さの度合いが違っていますから、生徒は図書室のほうが居心地がいいと考えます。自分の席が決められている教室と自由に座れて、周りにはいつものクラスの人たち以外の人がいる意外性が心地よいのです。
使用法がモノになったようなのが制服です。先のオルガンのように、社会的認知度が高ければ、その厳密な使用法を守ることが「社会的居場所」の広さを確保することになるが、そうでなくて社会的認知が低いとき、着こなしのゲーム規則を創出して、そういう内部空間で住む場所を作っていくのです。使用法を公然と破っているわけでもないのに、自前に施行細則ゲームをつくることで小さな社会を作り上げていくのです。ですから、使用法の厳密さが上がるに従って住み心地が悪くなる、ということでもないのです。制服を制定した側にとっては、生徒たちの中にトロイの木馬を送り込んだのに、兵隊たちは生徒と戦わずに遊んでいる、というぐあいでしょう。
学校建築にも、当然、公的な使用法がついて回ります。そもそも曖昧な使用目的のはっきりしない場所など認めてもらえないでしょう。看板だけは掲げないといけないけれど、現場の事情で申請した使用目的とは違った使用をしている学校もありましょう。ここはこういう目的に使いなさい、というふうにいわれてもそのような目的以外に工夫して便利に使いこなす、ということが「住むこと」の基本なのですから、現場の教員たちもそうするわけです。むろん生徒たちも施設設備の目的外使用をすることで、住む場所を創設するのです。四方さんによれば、神戸市立有野北中学校の「トイレ内は、ベンチスペース、手洗いスペース、便器スペースの三つのスペースに区分けされている。ここの学校のトイレも、従来の暗くて近寄りがたいトイレイメージを脱し、トイレが用を足すのみならず、ベンチで腰掛けて語らう生徒たちのたまり場ともなりえている。」(「トイレ」)というふうに。ただのトイレを多目的トイレ?にしてしまうと、密かに落書きしたり、自傷行為に走ったりするところは別に探さなければならないだろうし、四方さんがいうように「トイレの花子さん」も引っ越ししないといけなくなりましょう。
厳密すぎる使用法の設定は、制服の教訓が教えてくれるように、より厳密な使用法の施行細則ゲームという創造性の低い次元に人びとを陥れていくのです。制服の着こなしゲームの発生は、強制される秩序への抵抗という評価をすることは困難です。なぜなら彼/彼女たちは制服廃止に反対するからです。土俵を廃止されたらゲームに興じることができないからです。
すぐれた建築家たちは、建築が住む人たちによって建築自身が変化していくことを、設計の重要な要素と考えているようですが、個性的な校舎自体が持っている規制力は、ちょうど制服の着こなしを生み出したような限定的な「住み良さ」にしか至らないのではないか、という危惧もあります。木造校舎がもっている、いわば無限の可塑性と、全国共通のありようがもたらした「学校」イメージの共通語性が作り出してきたものを改めて確認してみる必要がありましょう。
3 授業の規則
明治11(1878)年大阪生まれの鳳志ようは3歳で小学校にいれられますが、続かず5歳で再入学、9歳で漢学塾にも通っています。下記は6、7歳のころの宿院尋常小学校のときの経験を語ったものと思われます。
これも二年生位の時、先生は修身の話をしておいでになりましたが、
「あなた方、此処に三羽のひよこがあるとしまして、二羽のひよこは今人から餌を貰つて食べて居ます。一羽のひよこはそれを見てます。さうするとその一羽のひよこはどんなことを思つて居ると思ひますか。解つている人は手をお挙げなさい。」
とお云ひになりました。手を挙げたのは僅に三人でした。私はもとよりその中ではありません。一番の子と二番の子と三番の浅野はんがそれです。
「浅野はん。」
と先生は指名をなさいました。私はこのむづかしい問題を説き得たと云ふ浅野はんをえらい人であると思つて、後に居るその人の顔を振返つて眺めました。
「私も欲しいと思ひます。」
浅野はんはかう云つただけです。先生は可否をお云ひにならずに、外の二人を立たせて答をお聞きになりました。
「私も欲しいと思ひます。」
皆この言葉を繰り返しただけです。私はつまらないことを考へる人達だと三人を思ひました。一羽のひよこが何を思つて居たかは、人間の子供の私達にさう容易く解る筈はないが、何と云つてもそんな簡単なものでないと思つたのです。
「さうです。それに違ひありません。」
と先生はお云ひになりました。私はそれにも関らず一羽のひよこの真実(ほんたう)の心持が解りたいとばかり幾年か思ひ続けました。浅野はんの名はそのために今も頭に残つて居るのです。
與謝野晶子「私の生ひ立ち」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/668.html
あたりまえのことではありますが、学校経験が血肉となっていた人たちが社会の中心に座ったのは明治のはじめからではありません。明治の半ばころまでは、近代学校の経験を全然もたないか、強烈には持っていない人たちが中心でしたし、その人たちによって近代学校制度が創設され、運営されてきたのです。村の学校の創建でもそうです。多くの村人は寺子屋なり家塾の経験はあっても学校経験はないわけです。その人たちによって学校が作られたのです。上記の授業は、学校経験の中心を構成しているだろうと思います。漢学塾は明治の半ば過ぎまで近代学校と並んで、独自の世界を作っていました。後には家塾は今日の予備校のようになりますが、それはかなり後のことのようです。
小学校にいかないで漢学塾や数学、英語の私塾にいくという選択もかなりあったようです。漢学塾は儒学の古典の読解を中心に塾に寄宿して、たいていは一人から数人の先生に「鍛えてもらう」というものでした。それと比較してみると(徳富蘆花の小説『思出の記』が参考になります)、小学校の授業の「近代性」は上記の風景からわかると思います。古典的な教養から出発するのではなく生活経験から修身の授業が行われているわけでしょう。儒教の古典の解釈と違って「むつかしい」ところはないでしょう。しかし、たくさんの人たちの経験を「わかる」かたちで縮約単純化しているところに與謝野晶子は違和感を感じているのでした。
漢学塾でも修身的なことはやったのでしょうが、「わかる」でもわかり方がいくつも可能だったのではないでしょうか。というより「わからない」ところがいつまでも残っている。深い理解はいくらでも先にある、そういうわかり方だったのだろうと思います。しかし、近代学校は経験の縮約規制がより強かったのだろうと考えます。それを表現したのが「教科書」です。
別の言い方で言えば、住むスタイルの標準化のマニュアルが「教科書」なのです。儒学は徳川封建体制の御用学問にもなれば、革命の理論にもなるほどに汎用性があったわけですから、いわば生活のなかに向こうから侵入してくるのではなく、生活の方から儒学の教養を引き寄せるのですから、具体的な住み方への規制は弱かったのではないでしょうか。この漢学の「弱い」使用法が、キリスト教的伝統を背負った近代学校の「強い」使用法に転換されていくわけでしょう。
学校の近代学校での勉強がこの世界に住んでいる私たちの「住まい」方にどのように影響しているのか、ということを考えなければならないと思うわけです。
徳岡さんの「現代文教科書 ないし 国語授業」には、教科書を使うことでどのような規制がかかり、それにも関わらす可能的な授業のあることを示しています。
新着任で翌年に担任を一年から持ち上がるときだけは、また相棒になる教科担当と気心が通じている場合には、教科書選びに冒険できる。また、授業の組み立てにも掲載順をこえた取り組みも可能だ。投げ込みだってやれる。あるテーマを巡って、できるだけ対照的なものを二つやる。そこから起こってくる共鳴と不協和を読み取らせること。あるいは、一見違うテーマのものをぶつけることで、各テーマを成り立たせている平面へとたどらせたり。また、学校生活の時間軸に対応し教材を取り上げたり。ただし、自主教材編成なんて大それたことはとても時間的にも組織的にもできない。教科書に採用されたもののなかでどう組み替えるか、ここで勝負する(そうでないと誰もついてこない。指導書がないと教えられないなんてねえ)。だけど「現代文」は条件さえ整えば「現代」を撃つ可能性を秘めた教科だ。
「現代文」ではテーマから問題を直接に掘り起こすことはしないが、優れた表現をとおして間接的に問題を提示できる。
私にはこのような教科の「定義」が世界に直接住むことを制限し、「間接」に住むこと、いわば世界を外側から他人の世界のように見ること、そういう近代社会での人びとの特殊な「住み方」を訓練するイデオロギー装置になっているのだとおもいます。もちろん国語科にかぎりません。いってみれば、学校を通して、「新たな(間接的)住み方」を教えてきたのだろうと思います。しかしながら、そうした「間接的」住み方を突き抜けて、人びとはこの世界に「私」が住める場所を、手探りで探してきたことも確かです。ですから、学校の授業は、この世界から生徒たちを引き離しつつ、直接の世界に投げ戻すという、とてつもなく困難な(ある意味では矛盾的な)事業なのだと思います。
與謝野晶子が記録している授業経験は、単純にへたくそな未熟な授業といって片付けられるものではなく、近代社会での均一的標準的な「住み方」のあることを、逆説的にも立派に教えているのです。
こうした「教科書」を範型とする近代学校の使用法の限界状況が、今日私たちが遭遇している学校社会の現実なのだということを論じなければなりません。
※ 近代学校の始まりのときに人びとがそれをどのように感受したのかは下記をご参照ください。
〈教室〉誕生
4 「教育改革を絶つ」?
倉石さんが「学校に人は「住まって」いるか」であつかっているモノは、悪意がないモノ、人が住むのに必要とするモノ、人の日常生活に役に立ち、人に飼い慣らされてくるモノ、というイメージがあります。そうした役に立つハズのモノが、異文化としての学校や定住者ではない生徒たちにとって、その本来の役割を果たしていないことの問題性や、モノにまつわる教育的イデオロギー(モノ語り)のゆえに、正当に認識されていないという構成であるように思いました。
そういう側面は勿論ありましょうが、私が気になっているのは、学校にまつわるモノなりコトなりが、今日の教育改革なり教育論のなかで、ほとんど中心的な問題になっていない原因のほうです。べつの言い方で言えば、教育条件の整備とか学校制度のありようとかの議論であるよりも、「心の教育」とか「生きる力」などというコトバに集約されるような、目に見えない「内面」を教育の中心的課題として設定しているように思える傾向はいったいどういう流れの中にあるのか、ということです。勿論、学校選択制とか地域との連携とか制度的な議論もあるわけですが、それらが目指すところは「心の教育」などの言説のほうなのだと考えるとどう理解できるかです。
「教育改革を絶つ」という副題が案として出されていましたが、「モノ」を語って、教育改革批判に到達するのは至難の業です。学校統廃合への同意を取り付けるコトバとして「切磋琢磨」ということが使われている(中島勝住「学校適正規模 or 切磋琢磨」)わけですが、この学校統廃合という事件(コト)を合理化する「切磋琢磨」は、いわば生徒たちの「内面」のありようへの処方箋なわけです。平たく言えばたくさんの仲間のなかで「競争」しあうことで子どもは成長するのだという競争イデオロギーを道徳化したことばで語ったものですが、そういうコトバで学校の統廃合という大事件が説明されていく。
モノやコトを主題化しようとすると、コトバがそれらのものの周辺で主導権をにぎってしゃべり出すことは、倉石さんも指摘されていますが、そうした言説の空無性をあばくには「モノ」はあまりにも寡黙であり、かつまた、学校のモノの存在感が、近代学校の創設時から遙か離れた現在、非常に薄くなっているのです。倉石さんが「学校に人は「住まって」いるか」で出されているモノ、イメージされているモノは、善良すぎるのです。モノは遠慮なく学校に侵入し時間をかけて、いや最近はさして時間もかけず、暴力的に学校を、さらには教育思想まで変容させているのです。一方で、学校のモノが伝統的に持ってきた効力は引き下げられ、おとしめられてきていましょう。こうしたモノの暴力と衰退が、明瞭に対象化されてこない、明確なイメージを私たちが描きにくいのはなぜでしょう。これは単にモノがあふれているといった社会的な状況に還元されることではなく、モノとか制度よりは、「心の教育」こそいま要請されているのだというイデオロギーと密接に関連しているように思います。
「アイデンティティー」「セルフ・エスティーム」「コンピテンシー」「アカウンタビリティ」といった用語が教育界でよく使われる状況は、教育問題は制度問題ではなく、生徒であれ教員であれ、それらを「個人」として捕まえて、どのようにその「育成=管理」を行うべきなのかという主張の表現です。これはネグリたちがいうところの「生政治」そのものでしょう。どのようにひとり一人の「コンピテンシー」を高め、活用したらいいのか研究し、自己否定感情をもたないように「セルフ・エスティーム」しなければならないけれど、責任のがれを正当化されないように「アカウンタビリティ」はしっかりもってもらわないと困る、ということでしょう。かくて教育は、一人一人を大切にし確固たる「アイデンティティー」をもつ近代的自我の持ち主として、社会的(資本主義社会的)に有効に活かされるのだ、というわけでしょう。
まえに「総合的な学習」の評価法として個人能力の質的評価法であるポートフォリオ評価が議論されていることやら、「自己実現」というよく使われる教育用語が、アメリカの心理学者であり経営学者でもあるマズローの用語であることを紹介したことがありますが、
「融解する学校」
私の認識が遅れているだけで、すでに野崎志帆・平沢安政「人権教育におけるセルフ・エスティーム概念とその位置づけ」(大阪大学大学院人間科学研究所紀要 第27巻 2001年3月)では、マズローを援用して、SE(私はシステムエンジニアだとおもっていたら、セルフエスティームの略)概念をちょっと批判しているわけです。ここでも言われていますが、人権教育論が心理主義に接近していたんですねー。
こうした教育用語が、経済界で多用される人事管理関連の心理学用語で占領されているかのような事態は何を意味するのでしょうか。経済界の要請というだけでは片付かないでしょう。近代教育そのものが当初から持っていた「近代的個人」というものの観念のゆえに、モノや制度の問題を個人に還元するイデオロギーに弱かったのでないでしょうか。
柄谷行人にいわせれば「「近代的自我」がまるで頭の中にあるかのようにいうのは滑稽である。それはある物質性によって、こういってよければ、”制度”によってはじめて可能なのだ」(『日本近代文学の起源』)ということになります。ここで柄谷行人が言っている”制度”は、直接的には学校制度というような行政的な制度ではなく、「内面」というようなものがあると考える習慣が制度化していくそういう制度です。ここでの文脈でいえば「人権」なるものが一人一人の頭の中に内在しているハズだというように発想する制度です。人権教育論が心理主義に巻き込まれる必然はここに起源します。
事実や物よりも「心」をより本質的なものとする近代思想を「こころの教育」「セルフ・エスティーム」の現代教育思想は、古色蒼然と引きずってきているのです。
姦淫するなかれというのはユダヤ教ばかりでなくどの宗教にもある戒律であるが、姦淫という「事」ではなく「心」を問題にしたところに、キリスト教の比類のない倒錯性がある。もしこのような意識を持てば、たえず色情を監視しているようなものである。彼らはいつも「内面」を注視しなければならない。「内面」にどこからか湧いてくる色情を見つづけなければならない。しかし「内面」こそそのような注視によって存在させられたのである。さらに重要なことは、それによって「肉体」が、あるいは「性」が見出されたということである。(柄谷 同上)
柄谷行人のこの論法を応用してみましょう。1996年大阪府は「個人情報保護条例」をだし、2003年「個人情報の保護に関する法律」が制定された(中西宏次「個人情報保護」)。これらの条例、法律によって「個人情報」が生まれたのであって、法律が言うように、高度情報通信社会の進展で個人情報が出現したのではない、ということです。社会は個人を単位として成立しているという近代の社会観はこうした法律によって確固としたものとして定着するわけです。おかげで地元集中とか中高連携は事実上消滅しかかり、生徒名簿も作れなくなりましたから、同窓会だって少なくなっているに違いありません。「生政治」のターゲットは「個人」でありますから、それらの「個人」はIDカードなどで明確に特定されなければなりません、この頃では学校の教職員もIDカードをぶらさげ、外来者も首輪をかけなければならず、そのうち、保護者や地域の人もそういう首輪を要求され、首輪を下げて「地域本部」「学校協議会」などに参加するようになるのでしょうか。
前に、最近の小説は以前にくらべて、具体的な地名が登場しない、登場するモノに固有性が失われているのではないか、と書いたことがあります。
すでに明治の自然主義文学の生まれたときにもモデル問題が議論されてきました。作家たちは、創作上の工夫をしてモデルを特定できないようにしますが、読者や評論家たちはモデル探索に余念がありませんでした。こうした「個人」さがしの行き着く先は、地名の出てこない、現実にはありそうもない場所、どこにもいそうもない個人であふれる「小説」になっていきました。
「誰々さんを電話で呼びだしてください」「あなたはどなたですか、それ証明できますか?」なんて会話が学校でかわされたりしないとも限りません。成績をいれたデータを教員が紛失した「事件」はしょっちゅう出てきます。学校に泥棒が入ってデータを盗まれても盗まれた学校が謝っています。「個人」はこうして不動の存在として「生政治」のターゲットとして厳密に活かされ、活用され、管理されなければならない。そのための地ならしを「教育改革」はせっせと実行しているのです。「近代」は「すべての個人の情報・心」の終点まで到達し、際限なく、掘り下げようとしているのです。すべての人に心優しいケアが配達されるのをめざして。
戦後の革新的な教育運動もまた、そうした近代の支配的運動と自分たちの目指すものとの違いを明確にできなかった限りで、同根だったのではないでしょうか。
こうしたモノやコトを通りすぎて、「こころの物語」が学校を舞台に繰り広げられているのが現状ではないでしょうか。制度上の諸改革が究極的に「改革」の対象にするのはここです。
ですから、学校に関連するモノの個別探求を寄せ集めたくらいでは、とても「教育改革を絶つ」などという大それた副題をかかげることはできません。支配的状況、潮流の中心が何であり、それと対抗する思想的戦略ぬきで、モノを詳細に、しかもバラバラに論じても、おそらく何も出てこないでしょう。
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