戦後民主教育その可能性と不可能性 4 戦後民主教育の空間 

4 戦後民主教育の空間

 戦後の教育改革に立ちあってきた人たちの中には、戦後の教育改革を国家主義教育から「民主」「人権」「平和」の教育へという整理ではくくれないものを感じてきた人もいただろう。たとえば「教育基本法」の審議過程のなかで、佐々木惣一貴族院議員は、教育というものが如何なる目的を持っているかというようなことは、元来法制で定べきであるかどうかについては議論の余地がある、と発言していたという(大田尭編著『戦後日本教育史』)。〈教育〉というものを公的なものとして囲い込むことに、一定の疑問があったと理解してよいだろう。たぶんに私的な領域のなかで他の諸活動と区別のつかない、その意味で〈教育〉ともいえないものを、国家が「教育基本法」として取り出し、教育の目的を説き、その目的は「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない」と規定することによって、決定的に〈教育〉は公的、国家的規模に拡大していったのだ。〈教育〉の中身は違っても、〈教育〉を公的なものとして位置づける点では、教育勅語も教育基本法も同じなのだ。
 こうした、教育=学校教育機能の戦後における新たな拡大に対して、戦後思想の中に一定のゆらぎがなかったわけではない。戦後の国語教科書に文学教材が登場してきたことに対して、文学への開眼を学校教育という公的な場の外で行ってきた自らの体験をふまえて、その危険性を、竹内好は指摘していた。

 娯楽として排斥されていた芸術を、正当に教育コースに取り入れた代償は、芸術を教養として、生活の余剰部分として見る傾向を生じたことである。娯楽として排斥される運命を免れることによって、今度は、茶の湯や生け花と同様の、一種のたしなみとして理解されるよううになった。……教養主義は文学精神とは反対のものである。教養主義に陥ることは、文学の本質的理解を妨げる先入主によって目隠しされることなので、文学への開眼にとって逆効果である。せっかく文学教育を人間形成の不可欠の要素として取り入れながら、そのために、この逆効果を招いたのでは何にもならない。それくらいなら、はじめから教育コースの外に放任しておいたほうがいいのである。(「人間・芸術・教育」1952)

 竹内好は、このように文学教育の可能性への疑問を提出しながらも、結局は教育と芸術の深いところでの類似性といった言い方で、文学教育の夢を許容していくのだが、〈教育〉の拡大に立ちどまってはいるのでる。
 しかし、戦後教育の支配的言説は、竹内好もふれていることだが、教科書に文学教材が登場することによって、かつての時代には、文学に接することもなかったろう多くの子どもたちが、文学の世界に出会えるようになったことを積極的に評価する。しかし、戦後教育の支配的言説は、さらにもうひとつ踏み込んで言う。文学に出会う機会を、学校教育のなかで、教師によって子どもたちに保障されることがないならば、それは子どもたちにとってどんなに不幸なことであるか、と言明する。文学教育に限らない。「今、ここで×××を学ぶことがなかったならば、子どもたちは永久に×××を知らないでしまうかもしれない」という言葉は、どんな教師のものであってもよい。この子どもたちと×××(数学、自然科学……)の出会いのために、教師は授業をみがくのである。
 つまり、戦後教育は、子どもたちが生活世界の中でその生活の世界にみあった仕方で世界を学んでいく可能性など信じてはいないのだ。今、学校で、教師によって、子どもの中からその可能性を引き出さなければ、開化すること、子どもの中の創造的なものが開花することが永久になくなってしまうかもしれないのだ。そういう心配に取りつかれてゆくのである。あたかも、「あの人は私がいなければダメになってしまう」と恋する人のように。
 このような戦後教育の言説には、人間の「全面発達」という言葉に象徴される普遍的人間の形成というイデオロギーがつまっている。たとえば、この人間観によれば、いろんな職人さんが、自分の手仕事の世界とそこから見える世界以外のことは知らないというのは、人間的成長がそれだけイビツであると断定する人間観である。数学もテニスも書道もできないというのは「全面的発達」人間ではないわけだ。
 こうした戦後教育の自己肥大を、もっともみごとに定着して見せたのが斎藤喜博であったろう。

 どの子どももがみな、無限に自分を伸ばしていく欲求と可能性とを持っている。そういう可能性を実現させてやることこそが教育であり、専門家としての教師の仕事である。………教師の力によって、子どもはよくも悪くもなるし、どの子どもからも無限の可能性を引き出すこともできる。………教育において、子どもの可能性を無限に引き出すということはどういうことなのであろうか。それは1時間1時間の授業を的確にやり、授業のなかで子どもの認識を拡大深化させ、再創造させていくことである。
 子どもの認識を拡大深化させ、再創造させるために、いちばん大きな手がかりとなるものは、人類が積み上げてきた文化遺産である。教師はそれをつかい、そのなかにある方則なり、知識なりを、1時間1時間の授業で的確に子どもに伝達し、一つ一つ積み上げていく以外に、子どもの認識を拡大深化させ、再創造させていくことはできない。それ以外に方法はないと私は考えている。よく「イデオロギー」とか「生活をみつめる」とか主張するものがあるが、そういうことで子どもの認識をほんとうに変えていくことができるとは私は思わない。子どもは文化遺産を的確に獲得するすじみちのなかからだけ、自分の認識を拡大深化させ、自分の可能性を十分に発揮することができるのである。(『未来誕生』1960)

 斎藤喜博の〈教育〉の言説は、戦後民主教育の到達した水準を正確に示している。
(1)子どもは無限の可能性をもった存在であり、戦前のような訓致、道徳教育による教科、「しつけ」の対象として限定されるものではない。(子どもの発見)
(2)子どもの無限の可能性は教師によって引き出されてこそ実現する。教師のかかわり、〈教育〉としての働きかけの重大な役割が登場する。戦前の教師のように限定された役割とは比較にならぬ大きな責任を教師がかかえてくる。(〈教育〉の発見。〈教師〉の発見でもよいが。)
(3)子どもと〈教育〉が発見された場はどこであるか。斎藤の言葉で言えば「文化遺産」である。〈教育〉が成立するのは「生活」においてでも「イデオロギー」においてでもなく、人類の「文化遺産」という”普遍的価値の場”においてである。もちろん、「文化遺産」は、教育基本法に書かれている「真理と正義」でもよい。「科学」と言ってもよい。(〈教育空間〉の発見)
 斎藤喜博は学校がいかに無限の可能性あふれる創造性を持ちうるのかを実践によって示そうとした。学校教育のすばらしさを語りうる時期を、戦後民主教育はかつて持っていたし、いまも持ち続けているのかもしれない。その根源には、子どもの発見と〈教育〉の発見、そして〈教育空間〉の発見がある。〈教育空間〉を制度化したのが学校であった。戦後民主教育が到達し、立脚しているこの〈子ども〉─〈教育〉─〈教育空間〉が、実は啓蒙主義の発想の枠を一歩も出るものではなかったことを人は気づかねばならないだろう。
 戦後思想は、その出発点において、「平和」「民主主義」の価値を、国民各層に浸透させることの必要性を語る啓蒙主義であった。この思想の啓蒙主義性は、必然的に生活世界を〈教育〉世界に編成しようとする磁場をつくりだしていた。こうした磁場の中で、戦後民主教育は自己形成した。「平和」「民主主義」という戦後的価値を子どもたちの中に育てようとするとき、子どもたちが自ら「平和」「民主主義」をつむぎだす空間はどこなのか。それは「学校」であるとおおまかに言っておこう。しかし正確に言えば学校が対面させてくれる「文化遺産」という場においてではないか。
 斎藤喜博が子どもを無限の可能性として位置づけたのは、西欧の教育思想からではない。学校において「文化遺産」という空間での子どもたちとの出会い。そこで子どもたちを発見していったのだ。いいかえれば、無限の可能性をもった子どもたちというのは「文化遺産」に向き合ったところで、そこに立ち会った教師によって発見されてきたのだ。子どもが地域社会や家庭生活のなかで、どういう姿と可能性をもっているか、ではない。地域のあれやこれや、家の事情のどうのこうのは「文化遺産」のなかに高度に洗練されてあるのだから、そもそも二次的な問題である。子どもは「文化遺産」のなかで生きるようになる。そういう抽象的空間を戦後教育はつくりあげることによって、無限の可能性としての子ども、〈教育〉の可能性を構築しえたのではないか。啓蒙主義の依拠する「文化遺産」「真理」「科学」が〈子ども〉を発見し、〈教育〉を見出したのである。戦後民主教育は〈子ども〉と〈教育〉を日本の近代において真に誕生させたのであるが、それはもちろん、あるがままの〈子ども〉でもないし、生活そのものと不可分な領域としての教育でもなかった。「文化遺産」「真理」「科学」という教育空間のなかで共に抽出されてきたものなのだ。だから今日、〈子ども〉と〈教育〉は宿命的なまでに、ともにしか語られないのだ。
 戦後民主教育が発見した〈教育空間〉は自己増殖的に肥大化する構造をその内にもっていた。啓蒙主義者が「真理」や「文化遺産」をにぎったら自動的に膨張するものなのだろうか。使命は、自分が世界をどのように変えようと欲望しているのか、ほんとうは知らないところに特徴があるのかもしれない。

 子どもの場合は授業がおもな人生経験である。したがって、授業が豊かになり、幅と深さを持って、はじめて子どもも豊かな人生経験をするということになる。授業が追求的になり、創造的・発見的になったとき、そういう人生経験を蓄積することになる。授業のなかで、教材や他の子どもとほんとうの対面をしてはじめて本当の意味での他との対面の仕方、自分との対面の仕方も学びとることができる。子どもにとっては授業は、そういう意味での大切な人生経験の蓄積の場である。(『授業』1963)

 授業が人生経験だ、とはなんとも象徴的な要約ではないだろうか。授業の他の人生経験は「おもな」ものではなくなってしまう子どもの生活というものを戦後民主教育が、斎藤喜博の言うように実現したと仮に想定してみよう。こうした転倒を転倒とも錯誤とも思えぬほど戦後の教育空間は自己肥大してきたのだ。もちろん、教室での教師と生徒、生徒どうしのきびしい高めあいが、創造的になりうるだろう。しかし、それは、人が学校以外で創造的な関係を築きうる多くの機会を持っているのと原理的に同じことなのだ。なぜ学校という空間、「文化遺産」がつまっている学校という空間においての、人と人とのきびしい高めあいが特権的に膨張してくるのか。
 もし教師が創造的体験を生徒とともに実現しえなかったら、子どもたちの成長の機会、可能性を奪うことになるのだ、となぜ戦後民主教育は考えるのか。学校の外での生活世界は、子どもたちのために上手に仕組まれた教育的世界ではない。生活世界の丸ごとを〈教育〉として編成しなければならないという意志は、ありのままに放置されている世界は、非創造的な因習と悪の渦巻くカオスであるという認定がある。生活世界そのものを暗部としてくくる発想が強烈であればあるほど、人は〈教育空間〉に逃げ込もうとするのだ。戦後思想が、生活世界を封建遺制や非合理に囲った啓蒙主義性に、斎藤喜博の教育論は正確に見合っているといえるだろう。
 戦後民主教育論のこううした構造は、1955年前後からの「逆コース」、教育政策の反動化を対照の鏡として、55年以降、60年代の「国民教育論」として一般的に表現されてきた。国民教育論は教育の民主化の課題を平和と独立を担う国民の教育と結合し、国家の教育統制に対抗しながら教育の自律性を確立し、国民を教育の主体にすえようとするものであった。この国民教育論では、安保条約に示される日本の独立の危機という政治的問題を、教師が子どもたちに直接ぶつけるのではなく、「教育自身の論理」にそくして子どもたちに提起しなければならない、とされている(たとえば第10次日教組教研集会での上原専禄の講演「民族の独立と国民教育の課題」)。
 国民教育論がくり出される基礎に、この「教育自身の論理」がある。たとえば次のように。

 権力が教育の〈中立性〉をおかしているとき、教師はそれに対抗して、階級教育の立場に立って教育活動を行うべきだという考え方がある。階級教育……かりにそれを労働者階級としての階級意識を直接に植えつけるための教育と考えれば、教師はそうした意味での階級教育の立場に立つ必要はない。科学と芸術の教育、真実を追究し、人間性を尊重し、平和を守り美しいものを愛する教育を徹底的におしすすめることこそが、教師の勤労者階級層、諸階級に対して直接に負わされた責任である。(日高六郎「政治の責任と教育の責任」1960 『日高六郎教育論集』)

 「いま教育は、さまざまな政治、経済の波にほんろうされて、危機的状況にさらされている」といった言説は、体制側からも、右からも左からもきこえてくる。そして、体制も右も左も、戦後教育が生み出した〈教育空間〉を前提に、こうした言説をくり出している。
「真理」や「文化遺産」の中身をめぐっての争奪はあっても、戦後民主教育の空間は不問に付されている。斎藤喜博が、子どもを発見し、教育を可能性のなかに解放し、「文化遺産」を軸に教師と生徒、生徒どうしが火花をちらして高まりあう「教室」という〈教育空間〉を、教師自身のまとった、さまざまな実践の魅惑という鎖を自覚化するなかで、掴み取っていかなければならない。

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